〜御霊(みたま)〜
人の身は 土に還りて
形は滅すとも 道は滅びず
師は 肉の殻にあらず
その声、その眼差し、その教え
今なお風となり、光となりて
それぞれの傍に在りぬ
遺されし形に 想いを込めること、
やさしきかな、尊きかな
されど忘るるな
真に師を偲ぶとは
その志を生き継ぐことなり
手に持てば重く
握りしめれば砕け
かえって師の魂を閉ざすこともあらん
ならば、掌(てのひら)をひらけ
風のように 水のように
その教えを胸に抱き
空に放て
師は、去りしにあらず
還りしにすぎず
いまや 全(まった)き空にして
すべての処(ところ)に在り
—— 自身が歩む、その道こそが
師の遺し給いし、真の形見なり
そもそも、
生あるものは必ず滅し、
形あるものはことごとく変ず。
これ、仏の示されし 無常 の理(ことわり)にして、
天地の道、久しくして変わらず。
御師の遺志を手にし、
その香煙のもとにて
いまなお心迷わば、僧、申し上ぐ。
御師は、肉の殻にあらず。
その魂(たま)は、
教えとなりて息づき、
慈悲となりて巡り、
風となりて、その肩に吹いておる。
形見は縁(えにし)の証なれども、
真の御師は、
皆の生き様の中にこそ宿る。
いまこそ知るべし。
手にするそれを「有」とせず、
己の心に「道」として刻み給え。
執着を離れ、感謝を捧げ、
そなたの掌をひらき給え。
その時、御師は、
自在の光となりて
皆を導き給うであろう。
執着を手放し給う
—— これこそが、
真の供養、
真の継承、
仏の道なり。
(合掌)