前回の宮崎から、白い影が人型になる夢
その数日後には、またもやなチャンネルというか周波数の合致でしょうか?
不思議な感覚でした。
半分意識が寝てるような起きているような状態
イメージなのか夢なのか?わからない状態
見えたのは、家の敷地内に、屋根付きの白い祠が西向きに設置された様子
そして、聞こえてきた言葉がありました。
「おんしゅうとうりょうみつ」???
は?何?今の言葉?
いやまさかね…そんな言葉ってあるわけないやろ?
と、思いながら調べましたら。
ありました。
おんしゅうとうりょう。
みつは私が感じたのは密なんですが、満もある気がしました。
以下が、調べた答えです。
「恩讐等量(おんしゅうとうりょう)」の真の意味
この言葉の響きを、今の状況に極限まで引き寄せると、ひとつの仮説が浮かび上がります。
それは、「怨親平等(おんしんびょうどう)」という仏教的な極意の変奏曲です。
敵も味方も、愛も憎しみも、すべてを等しく供養し、浄化する。
菊池一族は、凄まじい「義」のために、多くの血を流し、また流させてきた一族です。その千年の歴史の中で積み重なった「恩」と「讐(怨み)」を、この今の代で「等量」として溶かし、完成させる(満つ)。といった意味。
「恩讐等量蜜(おんしゅうとうりょうみつ)」は、仏教的な倫理観・悟りの境地を表す言葉で、やや難解ですが、要点は明確です。
■ 言葉の分解
- 恩(おん):自分に恩恵を与えてくれた人
- 讐(しゅう):自分に害や苦しみを与えた人(敵・仇)
- 等量(とうりょう):同じ重さ・同じ価値として扱う
- 蜜(みつ):本来は「密」で、仏の教えの奥義・真理(※密教的ニュアンス)
■ 意味
「恩人も仇も区別せず、同じ心で平等に向き合う境地」
つまり、
- 好き嫌い
- 感謝と憎しみ
- 味方と敵
こうした二元的な感情を超えて、すべてを等しく受け止める精神状態を指します。
■ 仏教的な背景
この考えは、特に
- 仏教
- 密教
の中で説かれる「執着からの解放」や「平等観(びょうどうかん)」に通じます。
人は普通、
- 恩を受ければ好意を持ち
- 害を受ければ憎しみを抱きます
しかし悟りの視点では、それすらも「心の偏り」とされます。
■ 実践的な解釈(現代的に)
現実的には「敵も好きになれ」という単純な話ではありません。
むしろ、
- 感情に振り回されない
- 相手によって自分の在り方を変えない
- 善悪や損得を超えた軸を持つ
という精神的な強度・成熟を意味します。
■ 一言で言うと
「誰に対しても揺るがない心」
もし、菊池一族関連にて、参拝した前回の狭上稲荷神社の言霊であれば…
なんとなく、その一族が山奥深くに追われ生活をひっそりと生きていく過程にて、最初は恨み辛み怨みばかりだったかと…しかし復讐よりも子孫を絶やさずに生きていく道を選んだ事に対する言葉。
しかしながら、これは現代を生きる人達にも大きなる教えではないでしょうか…
私は、龍下寺に参拝にみえる方々に、「亡くなれば皆仏となり先祖となります。血は濃ゆい」といった内容の言葉を伝えます。
生前に苦労させられた、憎しみや恨みは、仏様になれば向けられないと思います。
人間は、ほんとに色々な感情や、また人というよりも獣みたいな魂の人もいるやもしれません。
しかし、亡くなれば皆仏であり、亡くなれば生前の行いにて、六道の何処かに行きます。
しかし、先祖です。
その人達をさかのぼり、そして自分がこの世に生を受けて生まれてきているのです。
今回のこの言霊は、菊池一族の想いや心を受け取れたのかもしれませんね。
「人を恨んではいけない」生前、先代が言われていた言葉を思い出しました。
皆さん自身にも何かヒントになる言葉でしたらいいのかと思いました。
