この時の旅行の始まりは、先代の御両親が子供を立て続けに2人も流産にて授かる事が出来ずに、父親は、何故に何か罰当たりな事をしたのだろうか?と嘆いたそうです。
風の便りかわかりませんが、香園寺の子安大師と呼ばれている弘法大師さんに参拝すると授かると聞いた母親は、その昔に香園寺に参拝したそうです。
母親が子安さんに参拝して、私が命を授かったから、御礼参りに行きたかー。。と言われて、それでは行きましょうで旅行計画を練ったのでした。
令和3年7月26日(月)の夜中に高速道路を走ります。今回は先に、高野山に行きそこからフェリーにて四国へ渡り徳島にて一泊し、翌日に愛媛県に移動して香園寺へ参拝、そこからフェリーにて大分に渡り高速道路で福岡に戻る計画でした。
高野山には早朝に(まだ多少暗かった)到着しました。広島、岡山を過ぎたあたりだったか、隣で胃が痛み始めたようでした。高野山に車が入りやはり途中車を停める事になりました。激しい嘔吐に苦しむ姿に私にはどうする事も出来ずにただただ背中をさする事しか出来ませんでした。
「赤不動、青不動」とみくじが降りました。
高野山に到着して、そのお不動様に御参りしました。まだ完全に回復していない先代は車の中におり私が代理にて御賽銭と御神酒にて手をあわせました。
ですので、弘法大師さまが瞑想されている所に行くのは負担があり途中までにて先代はとどまりましたので、そこから私が現地へと参拝に行きました。
そこにとどまった近くに青不動さんの場所があり、先代からそこに参拝してきてと言われて参拝させていただきました。
翌日の香園寺の子安大師さんへの御礼参りは無事に出来ました。「よか、御参りが出来たー」と喜び弘法大師像を購入して帰宅しました。
その子安大師さんは、石釜の明晃寺に祀られています。
超ハードな旅行計画ではありましたが、無事に帰宅が出来て、御参りも出来て本当に良かったと思い出します。