私は考える
自らの道を閉ざした人と、
その道を閉ざされた人は、同じ試練の中にある。
道を閉ざされた人は、何を学び、何を得るのか。
それは、それぞれの道に与えられた神の試しである。
閉ざした人は、自らもまた、神によって一つの道を閉ざされる。
閉ざされた人は、閉ざした人を通して、人の痛みを学ぶ。
その痛みを知った者だけが、やがて誰かの道を開く者になれるのかもしれない。
道は閉ざされるためにあるのではない。
人は、その閉ざされた道の前で、自らの心を知るために立たされるのである。
そして、その先に新たな道を見出したとき、試練は学びとなり、学びは慈しみへと変わる。
――私は、そう考える。
ときどき吟遊詩人。
