ある方のブログからの引用となります。
読んでなるほどね〜と考えさせられました。
あ とは。 愛
い とは。 意思
う とは。……あれ?思い出せない(笑)
思い出しました(笑)1日経過(笑)「運」です。
え とは。 縁
お とは。 恩
そして、か とは。 感謝
と、その方がある僧侶から教わったというお話でした。
すみません、m(_ _)m 「う」が?忘れましたね。
思い出したら、書きます。😀
どれも大切だと思います。
亡くなる前の先代は、「感謝」を強調されていました。
「ありがとう」これは、縁も恩も感謝も、愛もやはりありがとうだと思います。
先日、お寺にてお話をした会話の中で、
自分の口から出た、出てきた言葉に、ハッとさせられた私がいました。
断言するときの言葉は、私自身はかなり重要視します。
その内容は、神と仏
「菩薩は、慈悲です。」
「神は、愛です。」と言い切りました。
以前、神は厳しいと書きましたが、真理があるから厳しいのです。
菩薩の慈悲も愛には変わらないと思いますが、
慈悲は、優しさ。
神の愛は、威厳ある大きなる愛だと思います😊
優しさの中の優しさと厳しさの中の優しさ。
同じ優しいでも違います。
愛にも色々とある訳です。まぁ、相手を思いやるのも愛です。夫婦、親子、情なども愛があります。
先代から授かりし物。
そこに記してある文字には…
「力尊権者」「愛」の文字。
最初には、書いてなかった文字
おそらくは、病室にて書き加えた文字。
それが残され、お寺にあります。
それは、私に託された物。
その物という表現も少し違いますが。
それを授かり作成したのは、先代と私。
その時の言葉も内容も全て覚えてます。
それらの効力を授かりし時
結果があらわれます。それは、それを扱えるだけの尊権者でなければなりません。
そこに記されている「愛」
これは、神の愛もしくは、その尊権者が必要とされるものなのかな?と数年前から考えています。
例えば、お釈迦様や菩薩さまの両手が水をすくった時に、その手のひらの隙間からこぼれる水をまたすくう。その水は、「魂」です。
万人を救うための慈悲。これも愛です。
来月7月には、また少し大きな祈祷があります。
霊障であれば、必ず治ります。
念を込めた、祈祷からの読経です。
お寺を守っていく。これは使命と任務。
あれほどまでに、人の人生にかかわる責任は重すぎるからとこの世界に入りたがらなかった私。
いま、最近になって、多少なりな後悔があります。
何故、先代が生存されていた時に、覚悟を決めなかったのかと…
色々と指導や作法も教えてもらわなければ、でしたが…またもや手探りなる独立独歩の世界。
心配せんでよか!先達がおるとだけん。
と言われていたのに、旅立たれてしまいました。
私は、もうすでに父は他界、そして先代、次に母と別れましたので、話をしたくてももう出来ないです。
しかし…大事な場面では夢の枕元に現れてくれて、教えてくれる時もあります。
ご相談にみえる方々のお話を伺いながら、先代ならば直ぐにわかり解決出来るのに。と考えてしまいますが。
それは、仕方のないこと。
精進していけば、そのような道は開けると思っています。
何故ならば、先代が言い遺した言葉には、
「あんたは、まだどの神さんが全面に出るかはわからんけど…」と。
先代が断言出来なかったこととして。
私自身は、薄々くらいは感じてますけど。
まだ未知ですね。
修行は、厳しいですね。
特に、身体的よりも精神的なる負荷
人の心を知るとき、知らされたとき。
精神的な学びを与えられるわけです。
え?何でだろうか。何を学ぶのかと…
お寺は、それぞれが自分と向き合う場所です。
静かに、学ぶ場所として。
そして、それぞれの拠り所として、
私は、これから始まる(もう始まってますが。)
自分が出来る精一杯の務めを果たさなければなりません。
先祖供養や祈祷。その読経のひと文字ひと文字に力がなければ結果が出せないのですから。
それが、「力尊権者」だと理解しています。
